ひとり時間とか意識しない。ライフスタイルとかいちいち考えない。

自戒の念

あーライフスタイルて言葉が気になるー、ひとり時間にこだわって楽しめる人ってかっこよいよな素敵よね…

なんて思っていた時期もありました。

なになにするのが素敵、かっこいいの罠。

こんなライフスタイルが正しい、なんて事は誰にも言えないことじゃないですか?

ひとり時間、わざわざ素敵にする必要ない問題。

どんな過ごし方をすればひとり時間を素敵にできたと言えるの。

自分ひとりの時間を楽しむって一体どういうことだろう。大体生きていたら、ひとりの時間は絶対ある。

ああ。もしかしたら息つく時間さえない人もいるかもしれない。例えば子育てに忙しい人とか、仕事がすごく大変な人とか。

もしそんな人がいたら少しでもゆっくりできる時間ができればと願います。

で私の場合は、ひとりの時間あります。家で作業してる時はほぼ1人です。

ひとり時間を楽しむって、ただひとりでいる時間があるのとは違うニュアンスなんですよね。

自分ひとりでも楽しんでいるのって素敵だなとかかっこいいとか、いろんなとこで読んだ気がする。

そしてひとりを楽しんでいる人は、普段こんなことをしている、みたいな紹介があったりする。

いつも、こういう「◯◯をしているのは素敵」ていうのには、過剰なプレッシャーを感じてしまう。(これは同時に魅力を感じているとも言える)

ひとりで楽しむって素敵だと言う事はとても楽しいんだろうな。でも1人で楽しむって何をやること?

非常に危険な香りが漂ってきた。これは罠だ。多分。

ひとりだから出来ることは確かにある。

ひとりだからこそ出来ることっていうのは確かに自分の中にある。

例えばオンラインスクールのレッスン。あんまり誰かがいるところでやりたくない。

誰も見てないからこそ、集中できる。講師の人に質問たくさんできる。発音へたくそでも何回もやり直しする。ガッツがあると褒められて嬉しくなる。

これはもう誰も見てないほうがいいんですよ。本当に自己満足なので。

大体先生を選んだはいいけど突撃するのにめちゃくちゃ勇気がいるので、ひとりで気を溜めて覚悟する時間もかかる。

あと絵を描いている時や、作詞作曲する時、料理をする時もひとりがいい。

絵も曲も料理も、出来上がれば誰かと共有するけど、制作するときは集中したいし自分のペースでやったほうがリラックスする。

うちの家族は朝食はバラバラに食べるんだけど、私は最近ひとりで目玉焼きやキャベツの温野菜サラダを作ってる(家族が食べたいと言ったら家族の分も作るよ)

一人暮らししているときはひとり分の料理めんどくさかったけど、今は朝食の時にちょこっと作ってるだけで、しかも自分が食べたいものしか作らないから非常に楽だ。

家族の夕飯を作る時は、出来るまで他の人はキッチンに来ない。なんとなく自然とそうなってるけどそれでいい。手伝ってもらうよりも全部任せてもらう方がやりやすい。

でも別に意識してそれを楽しもうとはしていない。ましてやひとり時間を楽しむ!と気負ってはいない。

意識してないけど楽しい。嫌じゃない。めちゃくちゃ楽しいわけじゃないけど、小規模の達成感がある。

思い返してみれば、まぁまぁ楽しいと言う程度。

誰かに提案されたライフスタイルは絶対疲れる。みんな性格違うから。

「綺麗なひとり時間」にはそれぞれのこだわりによる努力があるはず

何とかライフとか、何とかライフとか、なんとか生活とか、ものすごく煽ってくるけど、きっと自分の受け取り方が悪かったんだと思う。

こういう生活をしてれば、人生が楽しくなるとか素敵になるとか、そういうもんじゃないでしょう。

これをすれば幸せが約束されるなんていうのは他人に提案されるものではない。

写真に写ってるものはきれいに見える。丁寧に編集された動画はとてもおしゃれに見える。

けれどもしおひとり様をきれいな写真や丁寧な動画に落とし込んで紹介してる人がいたとしたら、その人は自分が楽しいからだけなのです。

写真や動画にするのもめちゃくちゃめんどくさい。撮影中にちょっとでも部屋とかが汚れてたら目立つのも考えただけでめんどくさい。

だけどきれいな写真や動画を作ることが好きだから楽しんで作っていらっしゃるんだと思う。

そこに写っていることが生活の全てではない。ずっとあのきれいな世界をキープしているわけではなくて、作品として作ることも含めてのひとり時間の楽しみなんだと思う。

これは私の考えが違うかもしれないけどね。

ひとりの時に何してようが、しんどくなければそれで良い。素敵でなくてもいい。

結局、あんまり苦になってないならそれでいいと思う。

私もそういう誰かの何かに憧れていいなと思って真似したいと思ったこともあるけど、結局こうしなければと言う義務になっていくんだ。

もう義務になったら全然楽しくない。ひたすら苦痛。

それをしてなくちゃ素敵じゃないとか楽しくないとか、自分の中で何を強制事項を作っているんだろう、と、脳みそが疲れてしまいます。

誰かがやっていることが自分に合うとは限らない。

ライフスタイルは基本的に真似ができない。

みんな性格が違うし、みんな立場も違う。

大家族の人が、一人暮らしのライフスタイルに憧れて、大家族の中でそれを実現しようとしてもめちゃくちゃ疲れる。

もともと一人暮らしが合わない人もいるし、逆に大家族が合わない人もいる。

自分なりのバランスをうまいこと取るしかない。それには絶対誰かの真似をするのは良くない。

できてないと言うことが辛くなってくるからだ。

素敵でおしゃれに過ごしたいと思ったのに辛くなってきたら本末転倒やね。

生き方に名前とかいらん。「その人それぞれの人生」でオッケー。

新しいライフスタイルの提案とか、この時間はこう過ごすのがどうしたこうした、は、あんまり意味がないみたい。

ひとりの時間は、別に素敵じゃなくてもおしゃれじゃなくてもいいので、使えるだけ自分のために使う。

おしゃれにするために努力するより、時間をかけたいことがある。

おしゃれに時間をかけたい人はそうすれば良い。それが楽しくて面白いなら凄く良いと思う。

私も時々服装ではおしゃれであることを楽しんでいる。自分の中のおしゃれなんで他人からあまり理解されないこともあるけど、みんながびっくりするような服装はしていないので、気にしない。

自分の好きなものを集めていけば、近くにあるものだけで自分が1番楽しいと思える姿になれる気がする。

それは服装も生活も一緒じゃないか。

ものが多くてもそれが楽しいならそれでいいし、無駄を愛することも人それぞれ。

生き方にやけに名前をつけて、付加価値があるように見せるやり方は私はあまり好きではない。

どんなところで住んでいても、1人でも複数でも、日常の些細なことをその人なりに大事に出来るなら、それがその人のベストだと思うからだ。

他人がとやかく言うことじゃない。

少なくとも私はそうやっていきたい。

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